命果てるまで      刻原 羽音

   『花女房』

『花女房』と言う話を知っているだろうか?
 私はこの話が一等好きで、小僧の時はよく母に聞かせて貰ったものだ。

 話は、男が旅をする所から始まる。
 男はそれはそれは重い荷物を肩に掛け、行く道を歩いていた。
 突然男は倒れてしまう。
 しかし男の足元には一輪の可憐な花が咲いていた。
 男はその花を踏み潰しては可哀相だろうと倒れ行く体を無理に捻り、結果背中から倒れてしまった。
 強かに背を打ち付けた男は、尚花を気遣い、
「潰れなくてよかった」
と、花を愛でて旅を続けた。
 幾つもの月日が流れ、男が家へ帰ると女がいた。
「そこで何をしている」
と男が聞く。
「貴方様を待っていたのです」
と女が言う。
 女は男に祝言を上げたいと申し出た。
 女は大層な別嬪で、男は誘われるがまま、女と祝言をあげた。
 幾月たっただろうか。
 女は病に伏せる。
 医者に見せたが原因が分からず、男はせめてもの慰めにと花を摘んで来た。
 それはあの可憐な花で、さぞかし女が喜ぶだろうと。
 しかし男が帰ると女は息も絶え絶えに弱りきっていた。
 男はどうした、と聞く。
 女は消え入る様な声で言った。
「私は貴方様に助けられた花の精です。貴方様恩返しがしたく、妻になりました。けれど……私は……もう……」
と言って、女は息絶えた。
 男が持ってきた花は、いつしか枯れていた。

 物語はここで終わる。
 私はいつも母に花を大切にせよ、無闇矢鱈と摘むな、と教えられて来た。
 そして──私は母と共に正月を祝う為、江戸に向かっていた。
 山を越えればすぐに着く。
 母は一本の桜の木で足を止めると私に向かって言った。
「これはねぇ……お殿様の御寵姫が社を立てる為に使う木なんだよ」
 母は悲しそうな顔をする。
「可哀相だろ、兵介」
 私は頷いた。
 もういい大人の男の癖に、私は頷く事しか出来なかった。

 それから一月後、母が死んだ。
 実にあっけなく。
 いきなり死んだ。
 私は泣かなかった。
 母は既に高齢であったしいつ死んでもおかしくはなかったから。
 葬儀を終えると、私は仕事を始めた。
 あくせく働き、給金を貰い、細々と生活していた。
 そんな折り、娘が兵介の前に現れ、こう言った。
「私は貴方の許婚。祝言を上げましょう」
 驚いた。
 兵介はこの娘を知らない。
 母が勝手に決めたのだろうか。
 兵介は娘をとりあえず家へ上げた。
 楚々として可憐な娘は名を『お春』と言った。



   お春

 その日の晩飯はお春が作った。
 なかなかに美味しく、兵介は旨い、旨いと言いながら食べた。
 お春は恥じらっている。
「ところでお春よ。お前は私の母を知っているのか?」
 一通り飯を食い終え、私はお春に尋ねた。
「もちろんでございます。幼少の頃から可愛がられました」
 お春は破顔し、弾んだ声で言う。
「しかし……」
「ええ。兵介様は私を知らないんでございましょう? 無理もございません」
 お春は優しく笑い、こう続けた。
「幼少の頃の兵介様はやんちゃな盛りで、よくお外でお遊びなさいましたし、成人して後は家計を助ける為働いていらっしゃった。お母様は私の元へやってきて、よく兵介様のお話を聞かせて頂きましたもの」
「そうか……」
 そういえば私は、あまり家にいない息子だった。
 母にしてみれば随分と寂しかったであろう。
 そういえば……。
「私は……母の事を何も知らない……」
 母が一日中何をして暮らしていたのか、私はまったく知らないのだ。
 父は幼い頃に亡くなったし、私は私で畑仕事の手伝いをして小遣い稼ぎをしていた。
 今更になって気付くとは腑甲斐ない。
 私がそう言うと、お春はゆるゆると首を振った。
「お母様は……兵介様を誇りに思ってらっしゃった。お母様は兵介様の幸せだけを考えていたのですよ」
 ならば……。
「母が決めた嫁と祝言を上げるのが私の幸せか」
 兵介は問う。
 お春は答えない。
「最後に親孝行をしようか」
 そして、私はお春と祝言を上げた。
 それはまるで──はた、と気付く。
 それではまるで────『花女房』ではないか……。
 愚かな考えに自嘲し、幾日か経った後、兵介はお春を連れて江戸へ向かった。
 母の縁者親戚にお春を引き合わす為だ。
 丁度一ヵ月前もこの道を母と通った。
 山はあの時見れなかった桜で淡く薄化粧し、幻想的な世界を作り出している。
 ふと、母が最後に愛でた桜を思い出す。
 もう切り倒されただろうか。
 兵介は無性にそれが気になって、お春を急かし、先を急いだ。
「何かあるんでございますか? 兵介様」
 お春は不思議そうな顔をする。
 兵介は素直に答えず、ただ言葉を濁した。



   

 桜の木は切り倒されていなかった。
 しかし─―。
「花が……咲いてない」
 兵介は唖然とする。
 他の桜は淡い桃色の花をつけているといのうにこの木だけは、蕾はおろか葉すらつけていない。
 お春は悲しそうな顔をした。
「……この桜はお殿様の御寵貴の社に使われる木。桜もいずれ死ぬのならば潔く死のうと、花実をつけないでいるのでしょう」
 そんな事が──あるのだろうか。
 木が人語を解するなど、聞いた事がない。
 ……まさか。
 お春はこの桜の……。
 まさか。
 そんな──。
 桜の精など、聞いた事がない。
 そんな筈はないのだ。
 物語によく似た出来事が起きたからといって、所詮物語は物語。
 現実とは違う。
 お春は生身の人間じゃあないか。
 馬鹿な事を……。
「さあ、後少しで江戸だ。急ごうか」
 兵介はお春に向かってそう言った。
 お春は優しく微笑んで、桜を一瞥し、兵介の後についてきた。
 兵介はまたも馬鹿馬鹿しい考えに囚われ始めた。
 否定すればする程、考えてしまう。
 あの桜──。
 人に化けた為に、花実がつけられないのではないか……。
 兵介はお春を見た。
 お春は色白の顔を弛緩させ、笑みを作る。
 桜の……笑みだ。



   評判

 母の親戚はお春を見て大層驚き、又大層喜んでくれた。
 お春は恥じらい、白い頬を薄紅色に染めた。
──これはまた別嬪で
──良い娘だ
──申し分無い
──後は世継ぎだけじゃ
 お春の評判は良かった。
 口々に母の千里眼は大した物だったと誉め讃え、世継ぎの話に花を咲かせた。
 兵介は恥ずかしいのやら嬉しいのやら、人々の祝いの言葉を聞いてもただただ生返事を返すだけだった。
 お春は愛想よく振る舞い、また膳の手伝い等をして、嫁としての大役を立派に勤めた。

 江戸からの帰り道。
 兵介はお春を労った。
「よく働いてくれた。爺様もお春を気に入っていたぞ」
 お春は恥ずかしそうに俯き、口を開いた。
「兵介様のお顔に泥は塗れません。当然の行いでございます」
 兵介は胸が一杯になった。
 こんなにも自分を好いてくれているのだ。
 素性など、どうでもいいではないか。
 そんな気になった。
 兵介はあの桜の前を立ち止まる事無く、お春を連れて村に帰った。

 お春は嫁いでからもよく働いた。
 お春の評判は瞬く間に村中に広がった。
 兵介は誰からも羨ましがられ、道を歩けば声をかけられた。
──出来た嫁だね
──どこで貰って来たんだい
──お前さんが羨ましいねえ
 中にはお春をくれとまで言う不届き者までいた。
 お春は家に帰ると暖かく迎え、仕事に行く時は優しく送り出した。
 お春がいなければ家に帰った気がしない。
 兵介の中でお春は何物にも変えがたい存在になっていた。
 お春と生涯を共にしたい。
 兵介はそう思い始めていた。



   異変

 しかし、お春はいつからか、何かを指折り数えてはため息をつくようになった。
 何だどうしたと聞いても、一向に答えずただ言葉を濁すばかりだった。
 日に日に数える指は少なくなっているのだから、日にちを数えているのだろう。
 兵介にはそこまでしか分からなかった。
 そして、また兵介があの馬鹿げた考えに囚われる事になる。
 それは、お春の行動がおかしくなって来たからだ。
 日中ふらふらと家を抜け出し、兵介が帰ってくるまでに家へ戻る。
 兵介はその事を口には出さなかった。
 お春を信じたい気持ちと、知るのが恐い気持ちが内混ぜになっていたのだ。
 そして、決定的な村人の言葉。
「お春さんが、江戸へ向かう山道の途中の桜の前で、何か語りかけていたよ」
 あの、咲かない桜の前で。
 一体、何を。
 口から出掛かる言葉は喉を通過する前に消化され、兵介はまた考えてしまう。
 桜。桜の精か──。
 別嬪なのは桜の美しさのおかげか──。
 やめろ。
 もう考えないと誓ったではないか。
 お春が何者でも生涯を共にしようと。
 そう……誓った筈。
 だが。
 兵介は馬鹿げた妄執を断ち切れない。

「兵介様? いかがなさいました?」
 お春は兵介に語り掛ける。
 あの、桜の笑みで。
 紅色の唇。白い肌。形のいい目。ふっくらとした頬。
「いいや、何でもないよ」
 兵介は首を振った。
 考えるな。考えるな。考えるな。考えるな。
 しかし、だが、もしや……。
──お春は。
──母の、桜の。
──化身ではないか。そして、恐らく五日後に。
──何かある。
 兵介はこの時、僅かばかりのお春の異変に気付いていれば、あんな事にはならなかったであろう。
 あんな事それは翌日。
 唐突に降って湧いた不幸だった。



   流行り病

 翌日兵介が目覚めると、お春が赤い顔をして唸されていた。
「お春!?」
 兵介は慌てて町医者を呼んだ。
 医者は兵介を表に出し、診察を始める。
 何か悪い病気なのか……。
 七日熱?
 いや、まさか……。
 そして、またあの妄執に囚われる。
──『花女房』
──あの話と同じ
──そういえば
 兵介の頭にある物語が浮かぶ。
 それは、柳の精の話で女に化けて好いた男と連れ添い、子まで設けた話。
──柳に出来るのならば
──桜にだって出来るだろう
 兵介は半ば本気でそう考え始めた。
 医者の話に拠れば、風の病で薬さえ飲めば治るという。
「お医者様から治る病だと聞きました。どうぞお仕事へ行って下さいまし」
 お春はそう言って気丈にも微笑んだ。
「しっかり療生しなさい。疲れが出たのだ」
 私が言うとお春はにっこりと笑った。
 嬉しいのだろうか。
 こんなにも疑心暗鬼に囚われている私に声を掛けられて、嬉しいのだろうか。
 私は不覚にも、泣きそうになった。

 翌日、飛脚がやって来て手紙を渡された。
 それは兵介の親戚からの物で、
『忙しい時分により、ひいては兵介殿の援軍が欲しけり候』
と書かれていた。
 薬代も払わなければならない。
 手伝いをすれば賃金が貰える。
「お春、私は五日程家を空けるが、やっていけるか?」
「はい。もう随分と楽になりました。お気兼ねなく行って下さい」  お春は笑顔で私を送り出した。
 私は……。
 果たしてお春に相応しい男なのだろうか──。



   真実

 江戸へ着いて二日程は目の回る忙しさで、あの馬鹿な妄執に駆られる事なく、無事に過ごした。
 三日目の朝、親戚からあの桜の木が切り倒される事を聞くまでは。
 兵介は不様に取り乱した。
 そして、お春の事を思い出す。
 止めなければ。いや、お殿様のご命令だ。それは出来ない。
 しかしお春が。お春が。
 死んでしまう……。
 兵介は一目散にその場を飛び出し、家へと帰る道を急いだ。
 制止する者の声も聞こえない。
 ただ、桜の花びらが纏わりついて大層走り悪い。
 兵介は思い出した。
 お春が数えていた日は今日ではないか。
 ならば──
──知って、いたのか。
 兵介は家に着くと、荒々しく扉を開いた。
 そこにいたのは。
 弱々しく痩せ衰えたお春の姿。
「お春っ」
 兵介はお春の側に駆け寄り、細く、白い手を取った。
「兵介様……?」
 お春は薄く目を開け、微笑んだ。
「桜が、あの桜の木が、切り倒される。お前は知っていたんだな」
 兵介は支離滅裂な事を言った。
「何を──言ってらっしゃるのです?」
 お春は弱々しく言った。
「切り倒される日を数えていたんだろう?」
 そう。自分が死ぬ日を数えていたのではないか。
 お春は、桜の精で。
 だってあんなにも物語と似ていて。
 だから、そんな、弱々しく、
「いいえ。いいえ兵介様。私は──桜の事は存じません」
「しかし……」
「お忘れになったのですか? 今日は兵介様の──お生まれになった日」
 私は愕然とする。
「私は」
 お春の声が遠い。
「それをお祝いしたくて」
 頭が、視界が回る。
「あの、苗を」
 では──。
「貰って来たのです」
 お春は──。
「あの、桜の木から」
 桜の精では──ないのか。
 私はうなだれた。
 腑甲斐ない。
 なんと、腑甲斐ない事だろう。
 私は、桜に気を取られて周りを見ていなかった。
 ふと、枕元の薬袋に目が行く。
「薬は……?」
 お春は目を瞑る。
「お春、薬は……」
 お春は答えない。
「飲んでいなかったのか?」
 お春は沈黙している。
「お春っ!」


 お春はそれから二度と目を覚まさなかった。


 医者は最後にこう言った。
 お春は妊娠していたと。
 私との子供を宿し、子供を気遣い薬を飲まなかったと。
 私は……そんなに価値のある人間だろうか。
 何故そこまで──そこまでされる程、良い人間ではないと言うのに。
 お春……。
 私の頬に何かが伝う。
 涙、だ。
 母が死んでも泣かなかった私が、泣いている。
 お春の為に……。
 生まれてくる筈だった我が子の為に……。
 私は一人、──泣いた。


 お春が最後にくれたあの桜の苗木。
 村人の話に拠ると、あの桜は毎年花実をつけず、それに目をかけたお殿様がこの木を使おうと決めたのだそうだ。
 私はその桜の苗木を持っている。
 それを土に埋め、水をやった。
 世話をしよう。
 この木が、立派に花実をつけるまで。
 満開の桜を見せるまで。
 私は……世話をし続けよう。


 この命、果てるまで。




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